どぶさらい

精神衛生のために。

茂木 (2006) プロローグ (pp. 8-12)

私たちの「心」の全ては、私たちの脳のニューロンの発火に伴って起こる「脳内現象」に過ぎない。 (p. 8) 

 心的なもの全てに関する内在主義の宣言である。

だが、この仮説がいかに驚くべきものか、その意味の広がりを感じることはそれほどやさしくない。 (p. 8) 

 「意味の広がり」という句が鼻につくが、この程度で苛立っていては当ブログの記事は書けない。

そしてもう一点。茂木は、いわゆる心身問題への「驚き」を味わっていることをもって、自分を特権化しようとしているふしがあるのだ。こういう箇所は、茂木 (2006) の随所に見られる。

 心が頭蓋骨の中の脳味噌に宿っているなんて、そんなこと当たり前じゃないか。そんなことを、三十過ぎになるまで知らなかったのか? そのように言う人もいるかもしれない。

 だが、「知る」ことと「感じる」ことは違うのだ。 (p. 10)

 ほらね。

 私たちの心の中の表象が、全て脳のニューロンの発火として生じるということを認めることは、必ずしも、「私」の外の客観的世界の存在を否定する「独我論」に結び付くわけではない。(中略)確実なのは、そのような広大な世界も、私の心の中に 表象として現れる時には、それは、脳の中のニューロンの活動に支えられた現象に過ぎないということなのだ。 (pp. 11-12)

 「表象」という言葉が使われている。この言葉は、私にとって日常語ではないし、心の哲学の文脈においては、決して何気なく使ってはいけないはずの言葉なのだが、この言葉は茂木 (2006) において何度も何気なく使われるので注意。

ここにはまた、茂木 (2006) の不可解な点がよく表れている。茂木は、いわゆる心身問題に「驚け!」と言ってくる割には、その問題をかなり限定的に捉えているようなのだ。この本では、他我についての懐疑や、いわゆる「哲学的ゾンビ」の問題は、驚くほど出てこない。「驚け!」と言っておいて驚き切れていないのは茂木の方だと私は考える。