どぶさらい

精神衛生のために。

道草。『これが応用哲学だ!』に収録された茂木の文章がいかにクソであるか。

さて、今回は道草の回である。 ただし、「茂木健一郎に「ノー」と言う」点においてはいつもと変わりはない。 戸田山和久・美濃正・出口康夫(編)、『これが応用哲学だ!』、大隅書店、2012。 (Kindle 版) この文章から覗える茂木の(私をイライラさせる)…

茂木 (2006) 3-3 みっつめの記事

さて、記事を書きますか、精神衛生のために。 茂木健一郎が路頭に迷ってくれれば、私の苛立ちはおさまるのだが。 このように、私たちの心の中にクオリアを生じさせるニューロンの発火のクラスターは有限の物理的時間が経過しないと形成されないのに、このク…

茂木 (2006) 3-3 ふたつめの記事(というかため息)

正直言って、いい加減疲れた。スーパーヴィーニエンスの概念に対して、ありもしない「ニュアンス」を読み込んで、心と脳について論じたかのようなツラをする、という茂木 (2006), 3-2 のやり口を見たあたりで、どうでもよくなってきたのである。こんな文章は…

茂木 (2006) 3-3 ひとつめの記事

以上で見たように、「対応関係」というメタファーの中には、時間は、明示的な形では含まれていない。一方、「重生起」は、時間を明示的に含んだ、「ニューロンの発火パターン」と「クオリア」がぴったりと寄り添った関係を表す概念なのである。 (p. 103) 3-2…

茂木 (2006) 3-2 ふたつめの記事

さて、さらに茂木に笑わせてもらおう。 (supervenience の訳語としては、「付随性」や「重ね描き」というものがあるが、ここで私が注目している原語のニュアンスは伝わってこない。そこで、私は、対応関係のメタファーを超えるための概念として、ここでは「…

茂木 (2006) 3-2 ひとつめの記事

さて、大爆笑の 3-2 にやってまいりました。 ところで、先にニューロンの発火パターンと私たちの心の中のクオリアの間に「対応関係」があると言ったが、実は、この「対応関係」自体の性質をどう考えるかが、また、いかに対応関係というメタファーを超えるか…

茂木 (2006) 3-1

さて、久々に記事を書こう。 私たちの心の中の「薔薇」の表象は、大きく分けて二つの要素から成立している。 まず、「薔薇」という視覚像を構成するクオリアの塊がある。例えば、緑の背景の中に赤い薔薇の花が咲いているとすると、緑のクオリアの中に、赤の…

茂木 (2006) 第3章 心が脳に宿るとき (pp. 89-123)

第3章の目次整理。 明示的な表現と、暗示的な表現 (pp. 90-96)3-1 と略記 対応関係のメタファーを超えて (pp. 97-102)3-2 と略記 物理的時間と心理的時間 (pp. 103-109)3-3 と略記 心の本性と因果性 (pp. 110-119)3-4 と略記 クオリアを巡る冒険 (pp. 120-1…

茂木 (2006) 2-6

機能主義の終焉 (笑)。 茂木 (2006) 2-5 についての記事で書いたことを繰り返そう。茂木は、機能主義を批判したというよりは、機能主義をそもそも排除する原理を宣言しているのである。

茂木 (2006) 2-5

さてやってきました。2-5 。 ところが、「反応選択性のドグマ」は、この、心のモデルが満たすべき基本的な条件、すなわち、脳の中のニューロンの発火の性質によって全てを説明すべきだという条件を満足させることができない。なぜならば、そもそも、反応選択…

茂木 (2006) 2-4

本節は単独で扱うのはあまり得策でない。反応選択性の説明にほとんどが費やされ、最後の辺りでこう言われる。 だが、果たして、そうなのだろうか。 この、一見疑い得ない議論に潜む重大な欠損(ミッシング・リンク)に光を当てることから、「マッハの原理」…

茂木 (2006) 2-3

認識において、あるニューロンの発火が果たす役割は、そのニューロンと同じ心理的瞬間に発火している他の全てのニューロンの発火との関係によって、またそれによってのみ決定される。単独で存在するニューロンの発火には意味がない。 (pp. 64-65) これが「認…

茂木 (2006) 2-2

私たちの認識は、脳の中のニューロンの発火によって直接生ずる。認識に関する限り、発火していないニューロンは、存在していないのと同じである。私たちの認識の特性は、脳の中のニューロンの発火の特性によって、そしてそれによってのみ説明されなければな…

茂木 (2006) 2-1

クオリアは、私たちの心を構成する最小単位である。クオリアが集まって私たちの心の中の表象ができる。例えば、「赤」の質感はクオリアであり、「赤のクオリア」の空間的な集合が作る「薔薇」のイメージは表象である。 (p. 50) 視覚的クオリアを、スクリーン…

茂木 (2006) 第2章 脳の中の相対性理論 (pp. 49-87) 目次整理

第2章の目次整理。 「私」はニューロンの塊に過ぎない! (pp. 50-53)2-1 と略記 なくてはならないニューロンの発火 (pp. 54-61)2-2 と略記 ニューロンの発火の相対関係 (pp. 62-65)2-3 と略記 ニューロンの発火パターンと心の中 (pp. 66-73)2-4 と略記 反応…

茂木 (2006) 1-5 ふたつめの記事

クオリアが、これ以上分割できないというくらいの原始的な質感を指すことを理解するために、私自身の経験から、次のような例を挙げたい。 (p. 42) この文章以下、表題にある、コーラとミルクを間違えて飲んだ時の話が続くのだが、「クオリアがこれ以上分割で…

茂木 (2006) 1-5 ひとつめの記事

さて、1-5 にたどり着いた。ここはかなりおかしなことが書いてある箇所だ。 クオリアは、これ以上分割できないという私たちの心の中の表象の構成要素である。 悪文。おそらくは、 「クオリアは、私たちの心の中の表象の、これ以上分割できない構成要素である…

茂木 (2006) 1-4

私たちの心は、私たちの脳の中のニューロンの活動に伴って生まれている。私たちの心に見えるものは、ニューロンの発火に支えられている。これが、心の随伴現象説である。 (p. 34) 随伴現象説の定式化が雑すぎる。私の理解では、随伴現象説のポイントは、随伴…

茂木 (2006) 1-3

現在のところ心は、脳の中のニューロンの発火に伴って生じる随伴現象だと見なされているという点にある。 (p. 30) 随伴現象説が主流なんだとさ。知らんけど。 私たちの心の中に、どのような表象が生じているかを決定するためには、どのようなニューロンの発…

茂木 (2006) 1-2

この本で一貫して論じるように、私たちの意識、心の働きは、全て、私たちの脳の中のニューロンの働きだからである。 (p. 24) この本では、内在主義はあくまで前提されているのであるから、この本で内在主義を論証しているかのような書き方はミスリーディング…

茂木 (2006) 1-1

カーテン越しに差し込んでくる朝の日の光。壁紙のトマトの絵の赤い色。冷蔵庫の冷却機のブーンという低い音。時計のカチカチという音。ふとんの中のぬくもり。時間と空間の枠組みの中で、「私は今、ここにいる」という感覚。心地よい空腹感。 これらの表象は…

茂木 (2006) 第1章 心は脳内現象である (pp. 13-47) 目次整理

第1章の目次整理。 心も自然法則の一部である (pp. 14-21)1-1 と略記 なぜ、心の科学が誕生しないのか? (pp. 22-28)1-2 と略記 心は存在するのか? (pp. 29-33)1-3 と略記 心に見えるもの、心に見えないもの (pp. 34-39)1-4 と略記 コーラとミルクを間違え…

茂木 (2006) プロローグ (pp. 8-12)

私たちの「心」の全ては、私たちの脳のニューロンの発火に伴って起こる「脳内現象」に過ぎない。 (p. 8) 心的なもの全てに関する内在主義の宣言である。 だが、この仮説がいかに驚くべきものか、その意味の広がりを感じることはそれほどやさしくない。 (p. 8…

茂木健一郎に「ノー」と言う

当ブログの目的は、この初回投稿記事のタイトル通りである。 茂木健一郎という人物は、テレビその他のメディアで盛んに活動している。しかし、学問的には全く評価に値しない。心の哲学の専門家が茂木の本について話をしないのは、そもそも時間を割くに値しな…